さて、先日地無しをアピールしようとしていたら愚痴みたいになってしまいましたので、今日はそれの挽回戦を試みたいと思います。
まぁ、地無しに限らずの話なのですが、尺八しかり物事にはやりすぎると返ってよくない、面白くないという事がままあります。私なんかは性格が真面目一遍なものですから、ついついがんばって吹きすぎてしまったり、上手く力が抜けてないなんて事があるんですね。しかし、人に感動を与える演奏というものはそんな単純なものではないのです。しっかり吹くところがあれば、あえて力を抜くところあり、強いところあれば、弱いところあり、高い音あれば、低い音ありと千遍万化、抑揚自在であるからこそのものだと言えます。
とはいえ、それが自由自在にならないし、どうすれば出来るようになるかというと難しく、長い時間がかかります。そこで最初の「地無しの挽回戦」です。地無しという楽器は、構造上どうしても地塗りに比べて未成熟な楽器で、音量や音程といったものが劣ります。さらに空気も抜けすぎるので、吹いていても全ての息が音に変ってこないということもあります。要するに、普段と同じように吹いても思っているほど鳴らないんです。だから、いい意味での諦めといいますか「こんな感じでもいいんだ」という気持ちになってくるのです。
禅の思想では「諦めの境地」というものがあり、いかに物事に執着せず、あるがままを受け入れられるか、ということを大切にしているといいます。かの茶聖千利休は、茶席でよく見せようという一切の気負いなく、相手をもてなすことに一心で、その姿こそが並み居る戦国武将に畏敬の念を抱かせたといわれています。
地塗りでは音が鳴りすぎて感じにくい事でも、地無しを吹くことで得られる事もあります。私も、いつか気負いなく尺八を吹けるようになりたいものです。これで、少しは名誉挽回できてればいいんですけど・・・どうかな
葛山幻海
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